背中を滑り落ちるその手のひらはじんわりと温もりを持ち始め、アロマオイルを絡ませながらわたしの肌と混ざり合っていく。
次はどこに向かうんだろう。その指の行方をじっくりと感じてみる。やがて意識はどんどん奥深いところに落ちていって、思考が遠ざかり、雑念が曇り硝子みたいに白いもやで覆われていく。
身体はその重さを忘れてしまい、小さかった感情の隙間が徐々に広がって、わたしがわたしじゃないような、不思議な感覚になる。
それは頭の中に空気が流れ込んできて、雑念とか不安とかが、ぐっと押し出されていくような感じ。ぼーっとして何も考えられなくなり、というか考えること自体が邪魔になり、圧倒的な幸福感に包まれる。
寝返りを打つたび、アロマの芳醇な香りが鼻を抜け、口の中はまるでキャンディを舐めたように、じんわり甘くなる。やがて時間の流れがゆっくりになって、今が昼なのか夜なのか、もうどっちでもいい。
限りなく無に近い部屋の中。聞こえるのは肌と肌がくっついたり離れたりする、ほんの少しの音と、お互いの静かな息遣いだけ。まるで、この部屋は月の裏側にひっそりとあって、この世界には二人だけしか存在しないような、何とも言えない特別感と非日常がそこにある。
ここは、日常の中で張り詰めた感情の糸を緩めてくれる、心の安全地帯。プライドとか恥じらいとかは、持っていても意味がなくなって、その柔らかな手の感触に全身をゆだねる。せめてこの数時間だけは、日常で起きているあらゆる心配がどうでもよくなって、無防備で開放的なわたしを取り戻していく。
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はじめてこの場所を訪れたのは、1年半くらい前だった。
激務だった記者を辞め、仕事を変えた。休日も決まって取れるようになり、割と自分の時間もできたけれど、その時間を持て余していた。
前の仕事は、書くことに負い目を感じて辞めてしまった。でも負い目を感じるくらい、本気で打ち込んでいた。忙しかったけれどやりがいを感じていた。それは、自分が存在していることに確かな意味を持たせていた。
今は何かが違う。以前のような達成感や存在意義がよくわからない。職場の人はみんな良い人たちなのだけれど、そこに必要なのは別にわたしじゃなくてもいい感じ。
自分にしかできないことがしたい、何かを成し遂げたい。でも、その何かが見つからない。
まわりの人たちは、ちゃんと生きているように見えた。結婚して、家庭があって、やりがいとか何かを成し遂げたいとか、そんなエゴじゃなく、誰かのために生きていた。日々の暮らしに確かな意味があった。わたしにはそれがない。だから見つかるまで探さないといけない気がした。恋人とか結婚相手とか、そんな単純なものじゃなくて、もっと大きい何か。
夜は眠れなくて、ビールを2、3缶開ける。おいしいと感じるのは1缶目だけで、あとはだいたい飲み干さないまま眠ってしまう。
そして気だるい朝を迎え、別に不幸じゃないし、死にたいとも思わないのだけれど、決して満たされない。この先どうなっていくのか、何のために生まれてきたのかと、時折消えてしまいたくなるのだった。
いつものように眠れない夜、ふと男性のマッサージを受けてみようと思いついた。なぜそんなことを急に思ったのか、わからない。日常にちょっとした癒しが欲しかったのか、 初めてのことをして刺激が欲しかったのか。でも、きっかけなんて今思えばどうだってよ かったのかもしれない。何となく、導かれた気がするから。
「男性セラピスト」「マッサージ」「女性向け」
スマートホンで、引っかかったサイトを片っ端からのぞいてみる。ほとんどのページに性的で露骨な文字が並んでいて、アイドル系やらマッチョ系やらといった若い男性の写真がひしめき合っていた。いわゆる「女性向け風俗」というものが世の中にはこんなにあって、一体どんな人たちがそれを求めているのか気になったのだけれど、わたしが求めていたのはそれじゃない気がした。一時の快楽じゃない、肉体的な快楽でもない、もっと心の奥底で感じられる心地よさが欲しかった。
ふと、神戸にあるサロンのホームページが目にとまった。これまで見たような露骨な文字や説明はなく、あるのは空とか海とかを連想させるクリアで神秘的な何か。
単なるリラクゼーションでもない、性感でもない。どこにも当てはまらない雰囲気と、「タントラタッチセラピー」という聞きなれない施術が無性に気になった。気づいたら、予約フォームのボタンを押していた。
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ここでの施術は、生きた芸術作品のようなものだと思う。
触れているのは同じ手なのに、同じにならない。晴れの日もあれば曇りの日があるように、わたしも日々違うわたし。何となく気分が乗らないとき、落ち込んでいるとき、寝不足で頭が回らないとき。施術中は起きているのか、眠っているのか。呼吸が浅いのか、深いのか。セラピストはその一瞬一瞬の変化を観察し、五感で受け取りながら、白いキャンバスにその時の色を重ねるように、わたしの身体を完成させていく。
キャンバスを彩るのは、戻らない過去でもなく、見えない未来でもない。揺るがない「いま」という時間だけ。いま一瞬を感じ、切り取り、身体と対話しながらつくっていく感じに近いと思う。
いま、呼吸していること。いま、触れられていること。いま、感じていること。
それら全てに意味なんてない。意味とか理由とか、エゴとか余計な思考は存在していない。でもそれらがこの心地よさを生み出しているのなら、私を苦しめていたのは過去や未来への執着なのかもしれない。
足さなくていいし、無理に作り出さなくていい。いまに身をゆだね、一瞬を生きること。それが執着から解放される一歩になるのかもしれないと思う。
不安が全く消えたわけじゃないし、眠れない夜もある。でも、前の私とは少し違う気がする。それは、不安との向き合い方に気づけたから。「いま」という、それだけに意識をゆだねることができた時間を知っているから。
施術を終えた後は、いつもすがすがしい気持ちになって家路につく。
《M・O(女性・事務職)》