日常のあれこれからひととき離れて、静かに坐るための集いです。日頃担っている社会的な役割や責任をすこしおろして、ほっとひと息つける時間をもっていただけるようにとの想いからはじまりました。

ただじっと坐っておく
あらためて、『坐る会』(すわるかい)とは、参加者それぞれが壁に向かって自由に坐るという会です。一回20分ほどを、休憩を入れながら何度か坐ります。趣旨はそれだけです。
作法もない
儀式もない
テクニックもない
頭の中で考え事がぐるぐるしても
感情に振り回されても
眠ってしまうくらい退屈でも
それでかまいません。
そんな自分を一旦ほったらかしにして、
「ただじっとしておく」
これが唯一のコンセプトです。
どうして坐るの?
私たちの日常には悩みが尽きません。
健康、仕事、人間関係、家族、恋愛、将来の不安…
認められない、やめられない、許せない、愛されない、物足りない…
〝自分だけがこんな思いをしているのでは?〟
そんな風に感じて、途方にくれる方もいるかもしれません。
だからといって、〝ただじっと坐っていること〟が一体何になるでしょう?
重荷をおろす
自分はそれほど生きづらさを感じてないよ、それなりに幸せだよ、という方はとても恵まれているのかもしれませんね。
でも、もし「あー、ちょっとわかるかも…」という自覚があったなら、そのようなあなたにこそ坐ることが合っているかもしれません。
とにかく一旦、腰をおろすことではじめて見えてくるものがあります。
あなたが抱えている「こうでなきゃ」「こうありたい」というような期待や願いも、一旦おろしてみる。それだけでいい。なにかが起きても、起きなくても構いません。
〝ひとりの世界〟を共有する
坐る会は、壁に向かって孤独な時間と対峙する厳しい場所ではありません。〝ひとりの世界〟を持っているほかの人たちと同じ時間を共有する、というとても贅沢な場所です。
禅語では「薫習(くんじゅう)」といって、衣に香りが移るように、人や環境に感化されて自然と良い影響を受けるという言葉があります。ですから私たちの人生や幸せにとって、「どこで、だれと過ごすか」はとても大切なことでもあります。
坐る会には、世代や生き方、価値観もさまざまな人たちがやってきます。そのような人たちのなかで、何か得るものがあったらそれは素晴らしいことですし、なにもなかったとしてもそれで構いません。
坐り終えたら、少し話す人もいれば、そのまま帰る人もいます。感想を言う必要もありません。今日の坐る時間が終われば、また日常に帰る。ただそれだけです。
