日常のあれこれからひと時離れて、静かに坐るための集いです。日頃担っている社会的な役割や責任から自由になって、自分のためだけの時間を少しでももっていただけるように、との想いからはじまりました。

 


 

ただじっと坐っておく

あらめて、『坐る会』(すわるかい)とは、参加者それぞれが壁に向かって、自分のやり方で自由に坐るという会です。一回約四十分(一炷 / いっちゅう)を、休憩を入れながら何度も坐ります。趣旨はそれだけです。

作法もない。
儀式もない。
テクニックもない。
居眠りしても叱られない。
膝を抱えてもいい。
頭の中で考え事がぐるぐるしても。
感情に振り回されても。
不快感に圧倒されても。
なにもわからなくても。
気力が湧かなくても。
泣きたくなっても。
死ぬほど退屈でも。

それでかまいません。

そんな自分を一旦ほったらかしにして、
「ただじっと坐っておく」
これが唯一のコンセプトです。

 

止まない心の声

私たちには悩みがたくさんある。
健康、仕事、人間関係、家族、恋愛、将来の不安…。
認められない、褒められない、やめられない、許せない、忘れられない、諦めきれない、愛されない、物足りない…。

自分だけがこんなに生き辛いのでは?
みんなどうやって生きてるの?
これからどうすればいいの?

そんな風に感じて、途方にくれるような心境でいる方も少なくないのではないでしょうか。

こんなに悩んで、もがいて、がんばってみたのに、まだ幸せには、ほど遠い…

幸せは自分次第、ということもわかってる。
でも、変われない。

だからといって、〝ただじっと坐ること〟が一体何になるでしょう? なんのためのそんなことをするのでしょうか?
そんなことをして、幸せに近づけるとはとても思えないかもしれません。

 

重荷を下ろす

自分はそれほど生きづらさを感じてないよ、十分幸せだよ、という方はとても恵まれているのかもしれませんね。

でも、もし「あー、わかるかも…」という自覚が少しでもあったなら、そのような方にこそ〝坐ること〟が必要かもしれません。

じつは、あなたが幸せになれないワケは、上記の「心の声」にたくさん隠れています。
それに気づくためには、とにかく一旦、腰を下ろすことから始めるしかありません。腰を下ろすとは、物理的にすわるというだけでなく、あなたが抱えているその重荷を今だけはすべて下ろしてしまうということです。そのための「坐る会」です。


変化は自然におこる

禅語では「薫習(くんじゅう)」といって、衣に香りが移るように、人や環境に感化されて自然と良い影響を受けるということがあります。

坐る会に集まった人たちと過ごすうちに、かさぶたが自然と剥がれるように、自分を苦しめていたこだわりや偏見がポロッと落ちて、いつの間にか生きるのがずいぶんと楽になっていることに気づく時が来るかもしれません。

Sun Kissed Skin KOBE 三島